高橋幸宏さんのこと
何がきっかけでYMOを聴き始めたのかなと考えているけど、思い出せない。
ただ、初めて買ったアルバムはSolid State Survivorで、通っていた小学校の6年生の学年にはスネークマンショウを聞いていた子どもは4人くらいしかいなかった。放課後にラジオ番組を録ったカセットテープを、物陰でこそっと交換していたような変わった子どもだった。
その後もニューウェーブの波に浸かり、武道館での散開(解散)コンサートまでを見届けた。
いろんな曲が好きだったけども、「増殖」というアルバムの中に入っていたNICE AGEという曲が大好きだった。タイトなドラムプレイ。ボコーダー(って言うの?)を通したユキヒロさんのボーカルがカッコよくて、心が躍った。コーラス部分を真似をしながら何度も何度も一人で歌っていたっけ。
(そういえばいつかのWorld Happinessで、LOVE PSYCHECDLICOがNICE AGEをカヴァーしていたのが、ものすごくカッコよくて震えた。これをもう一度聴きたいなと思ってるけど見つからない…どこかで音源を発見した方がいたら教えて。)
大人になって、ちょっとだけYMOに近いところのお仕事をさせてもらう機会があった。それは当時原宿で開催されていたトークショウの広報や運営を手伝うというもの。錚々たるメンバーの素顔がたっぷりと覗けるというチャーミングな企画だったんだけれども、ユキヒロさんもゲストで出演されたことがあった。
びしっとしたスリムなスーツを着こなしたユキヒロさんと、柔らかく可愛らしい中にもピリッと1本芯が通ったようなかっこいい奥様。楽屋で会話させていただいた時も和やかで優しく、音楽もだけどファッションリーダーとして、また素晴らしい空気感を纏った大人としてのお二人にも憧れた。
その日のイベントには、ユキヒロさんのドラムを聞いたのがきっかけで音楽を始めたという私の同級生も来てくれた。彼は私たちのバンドでドラムを叩いてくれた事もあるドラマーだった。入口で迎えると、大事にしているYMOのコンサートチケットの半券を持ってきて見せてくれた。それをちょっと借りてお茶を運ぶついでにユキヒロさんに見せたら、サインをしてくれた。(ほんとはダメだったと思うんだけど、関係者のみなさんごめんなさい)同級生はそれを「すごい宝物になったよ!」と、ものすごく喜んでくれた。そんな彼も、2年前に突然逝ってしまったんだ…。
悲しいな。本当に悲しい。
今朝は、いろんな想いがぐるぐるしていてまとまらない。
そして、人生は本当に有限なのだということを考える。
この記事を書こうとネットを徘徊していたら、「増殖」のビジュアルのことが載ってた。
CINQARTのサイトより
CG技術でヴィジュアルを作るなんて、夢にも思わなかったような頃のこと。
矢野顕子さんがコーラスをやってる、1980年の武道館ライブ「NICE AGE」
そしてたぶん私が見たYMO、最期の3人の姿→World Happiness 2012