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「お母さん」の役目が終わる時

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先週は札幌へ行っていた。表向きは4年間向こうの大学に行っていた子どもがもうすぐ卒業なので、撤収の手伝いが何かあれば・・・って口実だったが、もはや親が必要な場面は無い。

4年前、やはり引っ越しの手伝いという「口実」で行った時以来。その時も、娘や私の仲良い友だちがひょっこりきたりして、1日は子どもたちも含めてみんなでスキーをして、親の役割は特に無いまま帰ってきた。街中からすぐの山に登ったらあっという間に猛吹雪になってホワイトアウトし、怖いからみんなで繋がって降りてきたなぁ。こんな大自然の中で息子は暮らすのか、という感慨があった。

息子の進学は思いも寄らないことだった。内部進学で神奈川のメインキャンパスに行くと思っていたら、志望した学科にもれていく先が札幌になった。本人にしたら色々あっただろうけど結局は本人が決めたことだから、こちらはできる限りのサポートとエールを送るだけであった。

しかしそれまで、何となく誘われた先での仕事をし続けていた私には喝が入った。計算してみてもお金が足りない。本人がバイトで稼ぎ足すとしても、その頃は娘もまだ私大生だったので学費が厳しい。ベースとなる収入をボトムアップせねばならないと20数年ぶりに派遣に登録した。

この超久しぶりの派遣登録では色々と面白い展開があった。最初は書類だけで何社も落ちていたが、拾ってもらった先では今までの人生で経験したことがない経験をたくさんさせてもらい、普段では出会うことのない人にたくさん出会った。おそらく息子が北海道に行かなければ起こらなかったことだった。

子どもの状況とともに、いつでも親は新しい経験をすることになる。

高校卒業と同時に子どもが家を離れるということをあまり考えていなかったが、自分の中にしみついた「お母さんの役目」だと思っていたものを一番感じたのは、子どもが引っ越してからの1ヶ月間くらいだった。

娘と息子、割と好き嫌いがそれぞれあって食事のメニューのことを長年、知らず知らずのうちに考え続けていたんだろう。買い物をしている途中で「あ、これならみんなが食べられるな」と反射的に思う。もしくは、好物を見つけて手に取っている。次の瞬間「あ、もう居ないんだ」と気づいて、その時には言いようのない寂しさが押し寄せて、スーパーやデパートで人目を憚る余裕もなく号泣した。

あまり物事を深く考えていない、割り切れていると思っていた自分でさえそうだったのだ。産まれたその日から20年近く、ずっと食べ物のことを気にかけていたのだから、結構根深く頭に刻まれていたんだろう。無意識のうちに考えを巡らせているという癖が抜けるまでには時間がかかった。

1年前には、娘も家を出た。風のように軽やかでこだわりのない娘は「引っ越そうかなあ」と言ってから数日後には家を契約してきて、2週間くらいのうちに引っ越していった。引っ越し屋さんの段ボールがたくさん余り、物が少ないんだなあと思った。

先週の札幌では息子が学生生活の後半、さまざまな活動を共にした仲間とも会うことができた。親元を離れて孤独や迷いの時期を抜けて出会った仲間たちは素晴らしかった。

自分でご飯を食べられるようになった子どもたち。私にとって大きかった「お母さんの役目」は終わった。あんなに面倒だと思っていた日々のことも、割と静かにあっけなく過ぎ去っていく。あたらめて、その日その時は二度と戻ってこない一度きりの時間なんだなあということをじわじわ感じる。

今日も今日を味わいながら、それなりに生きよう。