AERAその後:夫婦のこと、家族のかたち
朝日新聞が出版している雑誌AERAに載った先日の記事の反響が大きくて驚いた。
取材を受けた日、楽しかったな。取りとめのない話をダラダラとしただけなのに、それをビシッとした記事にまとめるライターの方の手腕がさすがだなと思ったし、若い女性カメラマンの方の真摯な仕事への向かい方を見て、気持ちがいいなと思った。
友人が、私がウェブショップをオープンしたタイミングなので、取材どう?と言ってくれ、軽いノリで「いいよ〜」と答えたのが発端だった。コロナ禍での移住、好き勝手に見える夫婦像というのがキャッチーなのかもしれぬ…。最後にはちゃんとオチがついて(こんな上手い例え、私は実際してないんだけど)いい感じの記事にしてもらえて記念になった。
人という立体物に360度の側面があるとして、人から見えているのはほんの1つか2つの角度からだけのことだ。自分ですらちょっと離れて己を見つめることは難しい。ご多分に漏れずうちの家庭でも長年の結婚生活の中では紆余曲折あった。そしてそれはたぶん死ぬまで続く。
取材を受けた時点では、北鎌倉に引っ越して旦那は都内の現場に通っていたが、そこからまた現状は二転三転。今は富山県の氷見にいる。期間は数ヶ月らしいのだが家族ごと行ってもいいよ?とのことでちょっと大きい住居を会社が借りてくれた。そんな機会もなかなかないので私も便乗し月半分くらい行くことにした。
物事は思わぬ展開になるもので、それとほぼ同時に大学を卒業した息子が仲間を連れて北海道から戻ってきた。会社勤めをしながら何やらやりたいプロジェクトがあり、半年くらい事務所兼家を借りる資金も貯めたいという。家の管理と猫たちの世話を頼んでしばらく皆で一緒に住むことにした。
たまに娘も帰ってくると合宿所みたいでワイワイ賑やかになる。私も、未知の価値観の中で育った若者と生活して気づくことが多く、新鮮な気分だ。若者たちは夜遅くまで白熱したやりとりをしたり、天気の良い日は庭のデッキで作業をしたりしている。
ここにいる間は、毎日を楽しんでくれたら良いなと思う。
こうして寝食ともにする人は広い意味でみな家族。子育てが終わってしまったら、家族の形はより柔軟になるのだ。
私個人にとっては「旅をするように生きて行きたい」と思ってきたことがこんな形で叶い始めた。先月までは想像すらしていなかった。状況が変化する速さにことさら驚く。こうする中でだんだん現状は削ぎ落とされていき、結局は自分の身一つをどう扱っていくかということになっていくんだろうな。
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長く錆びついたものを、剥がして動かすクレ556のように。(例え古い)
心の本当の願いを叶えていく、強力な後押し応援隊のように。(根っからのお世話焼き)