そして、誰もいなくなった
朝起きたら、家の中がシーンとしている。窓を開けたら秋のなんとも言えない透明感のある空気が流れ込んでくる。蝉の声はすっかり姿を消して朝からコロコロとした虫の声が聞こえる。そして、誰もいなくなった。
この週末は、息子と、同居していたMちゃんの引っ越しであった。先週は仕事がフルリモートの娘が来ていたし、夫も所用があり氷見から数ヶ月ぶりに戻ってきていたので、大人5人と猫2匹という非常に賑やかな状況で過ごしていた。
Mちゃんは、3月の終わりに北海道からやってきた。息子の大学の同級生で、グラフィックデザインをやっているMちゃんは当時写真を撮っていた息子と、動画撮影をする他のメンバーと共にアトリエを作り、ほぼ毎日長時間一緒にものづくりをしていた。右も左もわからない状況から北海道の学生クリエイターを繋ぐオンラインサークルを設立し、地元の企業とのコラボやサークル内のコミュニケーションなどで最後は寝る間もないほどだったとのこと。
卒業後も引き続き一緒に外部からの仕事を受ける仲間として活動し、ゆくゆくは起業も視野に入れているとのことでMちゃんは息子とともにこちらにやってきた。息子は就職先が決まっていたが、仕事外の時間にすぐに打ち合わせができるように(彼らにとってはオンラインではなく直接喧喧諤諤と議論する場が必要だった模様)、一緒に住める場所を探しているという。しかし、あくまでも二人は交際しているわけではない。
一瞬、このイレギュラーな状況に戸惑ったものの、先方のご両親もこの様子をウェルカムなモードで受け入れているとのことだったので私は彼らに提案した。半年間、夫の仕事が北陸方面になって家族で赴任しても良いという状況なので、うちに住んで猫たちの世話をしてくれない?と。
大家さんにも話を通し、家族がまさに一人増えた感じで新しい生活がスタートした。新潟からMちゃんのご両親が直接荷物を運んできてくれて短い時間だったけど会うことができ、話をしてみてとても温かい家庭で育った子なんだなということもわかった。
私は月の半々行き来しているような生活だったので、Mちゃんと2人で過ごす時間も多かった。食事も一緒、あれこれ深い話をすることもしばしば、二人で鎌倉や葉山の方に行くことも多かった。
就職活動を経験せずにこちらにきたMちゃんは、ほどなくして貯金が底をつき外出もままならなくなってきた。学校を卒業したばかり若者が、個人で受けている仕事だけでは当然きつくなってくるだろう。日雇いで工場の箱詰めなどに行く日もあったが焼け石に水。
今や、個人の素質により就職などはしなくても何かを立ち上げてお金を稼いでいくことは可能だ。でも、数ヶ月Mちゃんと過ごす中で彼女は一旦組織の中に入っていろんな経験をするのがいいんだろうな…それもちゃんとしたメンバーとして受け入れてくれる環境で…と思った。
ある日、私はMちゃんに正面から自分の考えを言った。結構きつい内容だったと思う。いくらお世話になっている家のお母さんだからと言って、そこまで端的に他人から意見されることは生涯何回もないかもしれない。Mちゃんはとても神妙な顔で真剣にうなずき、話が終わった時「はっきり言っていただいてありがとうございました!」と言って、猛然とパソコンに向かった。
彼女はそれから1週間以内に自分が「ここで働きたい」と思うような理念をかかげているデザイン会社を何社か見つけ、直接話し、足を運び、時には玉砕し、面接を取り付けて2社の内定を得た。
そして今。彼女はある会社のデザインチームで、とても生き生きと働いている。このご時世でほとんどがリモートになっているのだけれど「会社に行きたい!同じ部署の人と話したい!」というくらい、愛のある人たちに恵まれて、ここ数ヶ月でもプロの仕事人としての階段をどんどん登っているように見える。
Mちゃんはお給料が出始めてから、郷里の家族や友達、お世話になった人たち一人一人にそれぞれ合う小さなプレゼントを用意してはせっせと送っていた。そして引っ越しの前日、私たち家族全員にもそれぞれが好きなものを考慮したプレゼントを手渡してくれた。(なんと猫たちにも…それは職人さんが作った毛とり用のブラシであった)
いつでも遊びにおいでよ、と言って、息子とMちゃんを送り出した。昨夜は娘も自分の家に帰り、夫も現場に戻った。成人、卒業…と来て、本当の意味でこれが子育ての終わりなんだな、と思う。名実ともに身の回りが静かになる。これから残りの人生は本当の意味で自分に向き合うのだ。
この、いま借りている家にももう長くは住まない予定。一人の時間は片付けの時間でもある。今日も虫の声を聞きながら窓を開け、最高の風を入れながら色んなものを処分することにしよう。