苦手なこととの向き合い方
昨日、とても心がザワっとすることがあった。
とある仕事の締めの支払いに関して、書類の提出を延ばし延ばしにしていた。そして、いい加減このまま忘れてしまってはいけないからと大急ぎでデータを作って提出したところ、公的な意味を持たない程の間違えた仕様な上に、記載内容にもミスがあってお叱りを受けた。
そもそも、書類を作るのがものすごく苦手だ。調べてみたらおそらく神経的な注意欠陥などに該当すると思われる程、数字という数字に弱い。今回もまた「やってしまった」という気持ちとずっと先延ばしにしていた負い目もあって、焦りながら対応してしまい、良く調べることもせず雑な対応をしていた。
申し訳ない気持ちとともに、自身の常識の欠如に落ち込んだ。曲がりなりにも何十年働き続けているのか。でも丸一日過ごす中、色々なことが浮かんできた。
ついつい、自分のスキル不足にフォーカスしてしまいがちだが、今回の場合一番問題だったのは、すぐに完了しなかったことだ。きちんとした書類を迅速に出せないことでどういう迷惑がかかるか、ということを想像せず「いつでもいい」という甘えがあって相手の信頼を裏切った。組織にいたら当たり前のことなのに、一人でやっているとその超基本的な足元の大切なことの優先順位もつけられなくなっていた。
あとは、もちろん常識的なことも押さえられない知識不足。しかし、これは調べればいくらでもできること。苦手だからと後回しにしてきたのがここに来て露呈した。
「嫌なことをやめる」「自分で全部抱えようとしない」ということで、前に進めることも往々にしてある。そこでがんじがらめになってる人はそこを解き放つのが先だけれども、言い訳をしてそれを回避すると何度でもその課題は現れるものだ。
例えば、いま乗り越えるべき課題Aに直面したとする。それを見なかったことにしたり、無かったことにすると、後でまた同じ意味合いの課題A’が現れて、それから逃れるとまたA”となって永遠に現れるんじゃないかな。感覚的にはダッシュがつけばつくほど厄介になるような。
嫌なこと、ざわっとすること、それが目の前に来た時は課題クリアの時。逃げた方がいいことと、正面から取り組んで乗り越えること、その違いは多くの経験をする中で自然と感じ取れるようになってくる。
だから、ちゃんと腹を据えてクリアした方が良い実務はじっくり向き合った方がよい。あ、そんなの当たり前でみんな分かってるのかな。それなら全然いいんだけど、私はついつい楽しいことややりたいことを優先しがちなので、ここにきて、こんないい歳なのに改めてそれを肝に命じるような事柄が起きてくれたんだと思う。
しかし1年ちょっと前、このブログを始める前まではこんな個人的な心のザワザワを、ありのままに書くなんて恥ずかしくて出来なかったな。まとまりもないけど、備忘録的に。