自分のビジネスを作ること
コロナを理由に、対面のみの研修にこだわった会社から解雇されてから、ちょうど一年だ。
経営者とのそりも合わなかったので半分せいせいとした気持ちもあったが、あまりに突然のことでさすがにあの日は驚いた。毎日の様に悩み事を聞いていたかわいい同僚の一人は「景花さんがやめるなんて、いやだ!」と目の前のデスクで泣き崩れ、なんと過呼吸の発作を起こして床に転がってしまった。
「人の会社に勤めるってことは、会社の都合でどーにでもなっちゃうのよ。しゃーないのよ。」って話した次の瞬間だったから、東京オフィスに無駄な波紋を広げてしまったことに何だか申し訳ない気持ちがしていた。そして「時代の最先端」くらい早いコロナ解雇にあって、なんだか気恥ずかしい様な気もしながら新宿駅を後にした。
あれから一年。住む場所の転換もした一方で「場所に囚われずにできる仕事」を集中して考えた。オンラインの可能性をちょっとだけ感じたのは4月の始めだったかな。ずっと楽しみにしていた海の近くで行われるボディワークのイベントがオンラインになったのだ。そんなこと可能なのか?と思ったけれど実際すごい手応えがあった。確か4時間くらいやったのかな・・・。ほとんどの人がZOOMなんて繋いだことがなかったのに、終わるころには不思議な一体感が生まれていた。
去年の4月といえば、12年も放置していたキャリアカウンセラーの資格を使って、休みの日に個人向けのセッションを始めて数ヶ月という時だった。勉強が嫌いで、学んでも頭に残らない。本も苦手でみんなが一生懸命知識を得て理解していくのに、全然頭に入らない。私はとにかくコンプレックスだらけ、自信もなかった。
「自分の手で自分の食い扶持を稼いで行きたい」と思っていたのに、結局、会社に所属して給料という形で入ってくるお金に頼っていた。それ以外の選択肢を本気で進めることに二の足を踏んだ。
でも、そんなこと言ってられなくなったのはコロナのおかげだ。本当にあれがなかったら今はない。
とかく人は「ある程度のものにならないと動けない」と言う。そして、側から見てすごいなって感じる人でも大抵「全然大したことないんです」と言う。でもそれであれば、どの程度になったら世に送り出せるのか?みんな、いつでも「もっともっと」といって自分の可能性、自分がやれることから目を背けている。「◯◯さんだから出来るんだ」というのもちょっと違う。誰しも自分のできることがあり、本当はちょっとしたことから可能性を広げることができるのに。
「まずはやってみる」ことが大事だと言う人がだんだん増えてきた。分かってはいるけれど「今いる慣れた場所」から抜けていくのには痛みも恐れも伴う。出来ないことは出来ないと認めて、誰かに頼るところは頼り、勇気を出して突破していくと、そのスタートダッシュに慣れていく。
一つのことを一生懸命掘り下げて考えるのも素晴らしいことだけど、複数のサービスをリリースするのが今となってはいいと思う。そのうち、悠長に考える暇は無くなってくるものだと思われる。変化は急だ。今あるものが失われた時に初めて「さあ、どうしよう?」と初めて考え始め、スタートするのはリスクが高いのでは…。怖がらせるわけではないけど、何でもすぐに試して行動した方がいい。それも、いくつものことを。
実際やってみると思った様に広がらないものがあったり、逆に意外なものが人気になったりする。自分一人のビジネスがいいのは、お試しマーケティングが己の判断でいつでもすぐにできること。トライ&エラーを繰り返せること。嫌なら勝手にやめたっていい。
自分の好きなデザインで衝動的にブログを書きたくなって、8月の引っ越し前日にオープンしたこのページ。見様見真似で作ったサイトにばらばらと載せたものを、近々一気に整理する時間を取ろうと思う。今日はとりあえず、今出しているサービスを並べて見れる様にしてみた。一度手を動かしてみると、もっとこうしたい、ああしたい、って言うのが出てくる。それは時間を忘れるほど楽しいことだ。一見無駄に思えた、あれやこれや。どれもが飛び立つために必要なことだった。今までやっていたことが、だーっと繋がり始める。そうなると、前に進めない誰かの「ひっかかっているポイント」がよく見えるようになる。
私もたくさんのサポートを受けてきた。だからこれからはそれを他の人に回していきたい。
悩みを解決していくセッションを色んな切り口でやっています。まだサイト途中だけど、内容みてね。