【心に残る店】COMMONS天下堂(富山県・岩瀬)

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富山駅には初めて降りた。
夕方まで何の予定もなかったので、まずは駅の中をうろうろして、観光案内所で近隣の地図をもらった。

駅の中に市電がある。都電のある町で育ったからかこういう小さな電車が通る場所には親近感があるし、これに乗ってどこかに行ってみたくなる。あても無いので1日乗車券を買って、適当に動いてみることにした。

まずは海。いつも見ている太平洋とは反対側の海だ。停留所を降りたところにある地図に従って歩いていくと、海岸に出る小道が見つかった。

生えている木々には力があり、海へ至る道への匂いは同じ。でもやはり雰囲気が全く違う。どちらも同じ日本・・・それも数時間電車に乗って列島を横断したら着くところ。自分は知らないことだらけだな。新しい風景に出会うだけで感動する。海に出て波打ち際で水に手を浸してみて、しばらく空気感を確かめるように味わってから手描き風の地図に出ていた「岩瀬」という方面に歩いて行くことにした。

岩瀬は、富山湾と神通川そして富岩運河が交わるエリアで、江戸時代初期から日本海を往来する北前船の港町で栄えたところ。その時代の栄華と面影を残す街並みが保存されているらしい。

廻船問屋が残る通りを目指して歩いていったが、だいぶ手前にその店はあった。メインの通りとは離れている。最初は二匹の猫が座っているのが気になって立ち止まった。見上げてみると、不思議な柄の旗が掲げられている。ショーウインドウは古いが、一目で品物の良さがわかる洋服が飾られていた。メニューも出ているのでどうやら珈琲屋さんのようだ。不思議なお店・・・入ってみようかな。

ドアを開けるとすぐに「こんにちは、いらっしゃい。」と、店主の方が家に招くように声をかけてくれた。使い込まれた趣味の良い家具が置かれている。下がイギリスの雰囲気がある洋服を置くコーナー、上は飲食のエリア。そして二階の奥にはギャラリーのような部屋がある。何名かいたお客さんは我々の世代より少し上のようだが、それぞれ個性的だ。煙草を燻らせて良いスーツを来ている男性二人組と、奥にボブの一部を緑色に染めた女性が座っている二人組。カウンター席にも人がいる。初めて来た町では、どんな人がどんな言葉で話しているのかがいつも気になる。

お昼時なので、そのお店の看板メニューであるらしい手作りのカレーのセットを頼んだ。かなりの量の野菜で煮込まれている手がかかったものだった。そしてついているピクルスが色とりどりでたっぷりと十分な一皿。見た目にも美しく、ビーツ、ゆで卵、こごみのピクルスは初めて食べた。

テーブルの上に、旅先での一風景を切り取った店主の文章が添えられていた。その内容からして私はすでにこの不思議な店と店主に興味が津々だった。積まれている映画の本。写真集・・・。富山の中心外からはもちろん、メインの通りからも外れた場所になんでこんなお店があるんだろう?




二階にコーヒーを淹れに来た店主がどこから来たのか?をたずねたので、神奈川から来てしばらく氷見に住むこと。神奈川から来たとはいっても実は9ヶ月前に都内から越したばかりなのだということを話した。

「足場をずらしたんですね」と店主は言った。そしてそれはとても大切な決断だ、と言った。今さっき初めて入った店で初めて会った人の言葉なのに、なんだかすばりと心に刺さった。コーヒーはとても美味しくあっという間に飲み干すと、淹れたばかりのものを追加で注いでくれた。

「富山は水がいいですからね」と店主が言う。立山連峰からの雪解け水が湾に流れ込んでいるから…。富山湾の地形については、魚の専門家の友達からも聞いていた。すり鉢状になった海底は深く、潮の流れの関係も重なってさまざまな魚が生息している。夏でも海水の温度が低く保たれているから、一年中素晴らしく美味しい魚が獲れるのだと。

店主が一階に戻って行き、おかわりのコーヒーもいただいたので、席を立って奥の部屋にも入ってみた。そこは古い書籍が積まれている屋根裏部屋のようなスペースであり、モノクロの写真が展示されているギャラリーだった。誰が撮影したものか?日常の一場面を切り取った不思議と心惹かれる写真だった。しばらくあちこちを眺めて一階に降りて行き、あの写真は誰が撮ったものか?とたずねると自分が撮ったものだと言う。

「自分はフィルムカメラでしか写真を撮ったことがない。フィルムは例えば36枚しかないでしょう。デジタルカメラのように無尽蔵に撮れるものとは違って、1枚撮れば残りは35枚しかない。限りのあるものには気持ちが宿る。それは人の命が宿るということだ。」

私はそれを聞いて、久しぶりにフィルムで写真を撮っていた頃のことを思い出し、近頃は携帯でしか写真を撮っていないな…と恥ずかしく思った。

「時間があるのであれば、ここに座ってもう少し話をしていきませんか?」と言われて、お店の中にある大きな書斎机のようなスペースでしばらく話を聞いた。

先代の頃は洋服屋として富山市内の中心街で商売をしていたが、30年前に稼ぐことばかりでそこからの循環がない経済の流れに疑問をもち「このままではダメだ」と感じて自ら「足場をずらした」こと。人と人、お金では解決のつかない物事の流れがある。それはスキルかもしれないし、心を寄せることかもしれない、と。

また、富山湾には山から濾過された美しい水が流れ込み、海底の深い場所には太古からの「壊れていない水」が満ちている。そこには生命の循環がそのまま残っている。それこそが大切なことだ、と言う話。

そして「物事が起こるのは『必然』だという言い方がある。それも間違ってはいないと思うけれど、人がこうして必要な人に出会えるということは『精進』と言うことができると思う。『精進している』のだ、この生き方で間違っていないということなのだと思う」と言う話。

・・・表現はそのままではないけれど、そんな話をしてくれた。

富山初日の出来事。店主の想いがそのまま形になって存続しているお店。北陸滞在の間に今度は自転車を折り畳んで運び、散策しながら立ち寄らせていただきたいなと思った。