「心に残る店」のこと

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レストランにしても物を売るお店にしても「お店に行く」ということは人生をどれだけ豊かにしてくれただろう、と思う。

そこには店主が店を立ち上げたきっかけのストーリー、何をどんな形で提供していくのか、調達するものへのこだわり、空間の作り方、お客さんを迎えてからは人と人のやりとりなどがあり、それら全部をまるっと含めて「お店」はその土地の一部となって生きている。

必ずしも「コスパ」で測られるものではない。ましてや、来訪する人にへつらう必要もない。

「お店」は店主の生き様を好きなようにぶつけて表現する場であって欲しい。そこに引き寄せられる客が提供されている空間ともの、そこに流れる時間、人の交流の中で気持ちよくお金を払い、店主が作ってくれた豊かなひとときに敬意を示すものなんだろうと思っている。

この前、美味しいガレットを古くから提供している店で聞いた話はこうだ。

料理の材料に細部までこだわるそのお店で使っているヨーロッパの品質の良い蜂蜜。それがもう手に入らなくなるかもしれない。

花が咲く時期に合わせて移動していく養蜂家が、コロナの影響で国を越えることが出来なくなっているからだという。

また、多くの自転車関係のお店でもこんな話を聞いた。いま通勤や一人で楽しめるレジャーとして自転車の需要が高まっているのに、新しい製品が入ってこない。自転車をアップグレードさせるカスタムの納期が2年後になってしまう場合すらある。

世界的に絶大な信頼を得ているシマノのパーツが欠品しているからだ。海外の工場がコロナの影響で閉鎖され、需要の高いパーツが全くあがってこない…

昨日から、東京はじめ関西のエリアが緊急事態宣言とのこと。時短で虫の息だった飲食店が酒類の提供をストップすると言うことは、更なる打撃となることは明らかだ。

国の保証だって、近々上手い具合にフェイドアウトしていくだろう。それよりも、この借金を返すための増税や支払いの減額などがしれっと行われていくだろう。

今まで当たり前にあって、心を豊かにしてくれたお店が無くなっていく。それはたぶん急激に起こっていく。

「いつか行こうと思ってた」の「いつか」はもう無くなった。私はこれから行きたい場所にできる限り足を運び、自分なりに心に残る店での体験を書き残して行こうと思う。

このカバーに載せた版画の絵は、かつて私の母とその友人がやっていたお店。

母は私たちが成人してから起業し、新橋演舞場の甘味処で修行ののち、目白の老舗和菓子屋から材料仕入れのルートを開拓して、和喫茶の店を作った。

実家が魚屋だったのもあり、ランチメニューのいくら丼(立派な鮭も乗ってたから親子丼か)や、玉ねぎ十数個で3日間かけて作るカレー、他にはない豚味噌丼や素晴らしい煮魚がついた納豆定食など…全て絶品だった。

サイフォンで淹れたのコーヒーも美味しかったな。その様子をぼんやり眺めながら、カウンターの中と外でおしゃべりが絶えなかった。

まだ某皇族の方々も目白で学生だったから、2階の座敷に来てくれていた。

道路拡張と地下鉄工事のため、今から22年前に閉店。雑司が谷にはまだ古き良き時代の空気は残るものの、この長閑な風景はもうない。人もだいぶ変わった。

そういえば、鬼子母神の鬼の字には、上の点がないでしょう。

その伝説はこちら。私の好きな、角の取れた子育ての神様の話。