新しい自転車

Bicycle

「小さい頃から好きなこと、いつまでやっても苦にならないことを思い出してみて」というような原体験を探るワークがあるけれども、私の場合パッと思いつくものと言えば手芸と自転車だ。

幼少期から「◯◯の作り方」みたいな本が大好きで、買い物に行けばリリアン、ポンポンメーカーなどに釘付けになり、手を動かすことに夢中になっていた。

あとは、自転車。祖父、父・・・と、まず思い出すのは自転車に乗っている背中。鳶職だった祖父と父は近所の仕事にいくのは自転車だった。大人の男の人用の普段使いの自転車は無骨で、キコキコならしながらどこへでも行っていたのを思い出す。

かくして私も、自転車が大好きな大人になった。

通勤時歩いて駅に行き、混んだ電車に鬱屈として乗っていると肩こりがひどくなる。長く勤めた会社は治外法権で通勤時の保険適用はなかったし、ドライバーさんが駐車場の片隅を気前よく貸してくれたから迷うこともなく自転車に乗って行った。山手線、ちょうど半分対角線上の場所。時間で言うと1時間ちょっと。それでもさほど苦にならなかった。

自転車の何が好きかと言うと、景色がどんどん動いていくことだろうと思う。自分の足で、自分のペースで自由自在に好きなところに行けるのが良い。空気や太陽、緑の一部であることを感じられる。それは昨今、緑地歩きをしていても同じ感覚か。また自転車を走らせている間は新しい考えがどんどん湧いてくる。細かい用事がてんこ盛りだった時期、何の何ものに邪魔されずに自分の思考だけを巡らせておける時間は貴重だった。そう、今思い返すと、自転車に乗っている間はそういう意味があったのかも。

まあ、意味はどっちでも良い。文章に書くとなんらか意味づけしなきゃならない気がしていけない。とにかく私は東京という街で自転車に乗るのが好きだった。八重洲に通っていた頃に一番贅沢だったのはお堀から皇居を抜け、丸の内から赤レンガの建物をのぞみ、銀座や日比谷も散策できることであった。東京タワーが見えてくると無条件に全身の血が騒いだ。

そんな東京での生活から一変。引っ越した先には海があり山がある。膝に不安があるのと、苦しい思いをわざわざしたくはないので、古いクロスバイクはお蔵入りになった。しかし残る母からのお下がりであるボロ電動自転車は、近所の山を一つ越えると充電が切れてしまう。この7ヶ月電源を入れたり消したりしながら、なんとか最後の心臓破りの山の分まで電源が持ちますように!!と祈りながら乗っていた。平地では考えられなかった状況。本当はもっと遠くに行きたいなあと思っていた時に「スポーツバイクの電動アシスト自転車」が目に止まった。車をもたない我が家にとっては必要経費じゃん?と都合よく考え、数ヶ月熟考して待った末に、今週新しい愛車が到着しました。

幸いに、メンテナンスや基本的なことを教えてくれてくれるそばのお店や人たちが見つかった。何しろ安全に、新しい人生の一部として自転車を乗っていきたいと思う。個人のアカウントと分けたInstagramも開設しました。素敵な情報、たまには一緒に乗ろう、とかそんな情報もお待ちしています。