【料理】忙しい人のカレー

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今日は子育て期真っ只中によく作っていた「忙しい人のカレー」を作った。別名ママカレー。この場合のママは私を指す。私の母は、たぶん日本一美味しいと言っても過言ではないほどのカレーを時間を手間をかけて作るので、そっちの「ママ」ではない。この「情子カレー」(母の本名、すごいっしょ)についてもいつか詳しく書かなければと思う。ちなみに、唐辛子にまぶしてから目の中に入れても痛くない孫は、とある記事の自己紹介にこう書いた。


母、嬉しそうだったねー。ほんとに色々あった人生だったけど、私の代わりに子ども達がめっさババ孝行してくれるのでほんと良かったなとありがたく思う。

話戻して、子育て期の料理について。私が2人の子どもを出産したのは某国大使館の現地職員として働いていた時だった。社会にでて一旦死ぬほど仕事して抜け殻症候群になり、急に建築がやりたくなって退職。バイトしながら夜学の建築専門学校・女子建築設計科(なんで女子部だったのかいまだに謎だが、最初で最後の女子校体験はなかなか楽しかった。田中角栄元首相の最終学歴にある、王子のあの学校である)に入学。2年間の課程を終了後二級建築士になったものの、バブル崩壊後の建築設計の世界は就職がなかなか厳しかった。

何度も設計事務所の採用を落ちる中「とにかくどこかに勤めなければ」と思っていたところ、友人から紹介されたのが某大きい国の大使館のアルバイト。そこで半年働いたあと、某小さめの国の大使館の職員に誘われた。

私はとにかくその時仕事が必要で、その国がどこにあるかも良くわからないままその大使館に行った。契約書は英語とその国の言葉両方で書いてあったが、現地の言葉は1つもわからず「これは文字化けではないのだろうか?」と思う様な記号みたいなものも入っていたが、いろんなことを考える余裕もなくサインした。

そんな状況で入った割には、そこに10年半も勤めた。入って2ヶ月目に一人目の子どもを妊娠してしまったのだ。超絶無計画のまま、どんどんお腹は大きくなるが、その大使館では現地スタッフが産休をとった実績がなく、私は日本の法律と他の大使館の状況を飛び回って調査をしてレポートを出し、大使に直談判しなければならなかった。休みが取れるか取れないかわからない状況のまま臨月となった。ようやく産前2週、産後4週の休みがもらえることになったのは、出産予定日が結構迫った臨月の半ばくらいだったように記憶している。

じっとしていられない体質の私は、何ヶ月も家で子育てしている様子が想像できず、またその大変さもよくわかっていなかったので育休を申請しなかった。そしてまだ首が全然座らない赤ちゃんを保育園に預けて、産後1ヶ月で職場復帰した。結局2人ともその方式で生んだので、私はこれまでの人生で会社を1.5ヶ月以上休んだことがなかった。今考えるとほんと体力あったなあ。

とにかく忙しかった。夕食を作る時間はほんとに2、30分と言ったらせいぜい。それもバタバタと他のことをやりながらがつがつ作る大雑把料理。もちろん大変で大変で、キー!となったことは何度もある。が、本当に大変な時はやらないので、料理が辛いと思った時期はそんなに長くはない。私は売ってるものを買って食べるのが好きじゃなかったし、ただ自分が好きなものを食べたいだけだった。

薄い玉ねぎとにんじんをたくさん入れて、ひき肉で作る「ママのキーマカレー」は良く登場したメニューだったと思う。どの家でもやるように、1日目はカレー、次の日は出汁で伸ばして長ネギを刻み、醤油を垂らして和風に変化させたカレーうどん。最後に鍋底に残ったちょっと煮詰まったものはトーストに塗ってチーズを乗せて焼いたり、グラタンの味付けにしたりなどとにかく変化させる。本当はカレーコロッケにもしたいところだったが、じゃがいも潰して揚げ物をするまでの気力は流石に無かった。

ニンジンは大きめなら1本、小さめなら1.5本くらいスライサーを極薄にセットして削る。玉ねぎも同様にとても薄く切る。野菜は多め。それをオリーブオイルでしんなりするまで炒める。挽肉は牛か合い挽きを使って炒めた玉ねぎとニンジンに馴染ませるように火を通す。8割くらい白っぽくなったらお湯投入。アクを救いながら中火で煮て最後はフレーク状になったちょっと美味しいカレールーを溶かしてしばらく煮詰めたら出来上がり。

ダイスになったじゃがいも、にんじん、肉は火が通るまでに時間がかかる。忙しい人のカレーはあっという間に火が通る素材である必要があった。でもこの、材料が全部こなれたあっという間に出来上がるカレーが妙に美味しいんだよね。もう私は忙しくないけれど、知らぬ間に大人になって忙しくなってしまった次の世代の若者たちのために今はこれを作っている。