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物を減らして、身軽になりたい。

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いつの頃からか、50歳を過ぎたら物を半分くらいに減らしたいと思っていた。

もちろん、普段の生活でなかなか着手出来るものではない。性格上、チマチマと減らしていてもなかなか半分には出来ないだろう。

引っ越しと言うのはいい機会になる…と周りからも言われていたし、ざっくりとしたイメージでは、物減らしの後はとてもすっきりした身軽な気分になるだろうと想像していた。

1カ月くらいあれば、何とかなるかな…と思って、引っ越しの日を設定した。「この週なら、比較的代金が安いですよ」という期間を教えてもらい、あとはオーリングでその日を決めた。

17年前に好き勝手に建てた家は、狭小住宅のぶるいに入るであろうものの、収納だけは上手に作ってもらっていた。片付けが苦手だから…と、リビングには長手方向片面全てに奥行きのある腰高収納をつけてもらったし、階段下には大型の荷物が入るスペースもあった。

さて、いざ物を減らす段になり片付けを始めてみると、子育てのほとんどの期間を過ごしたその家に格納されているものは、途方もない量だった。

その現実に直面して思い出したのは、15年前のこと…。実家の取り壊しの際に、最後に私が家を片付けた時のことだった。

代々、鳶の家系だった実家には、曳家をしていた頃の大きな道具から、地元のお寺の建前の写真など、いつの代のものか分からない物までが大量に遺されていた。

父は60代半ばで倒れ、8カ月間会話が出来ないままこの世を去った。だから、実家に遺された品々をどの様に扱ったら良かったのか?たずねることができなかった。

「捨てる」という行為は、特別なエネルギーを使う物だ。実家の片付けの際には、どうしても捨てられなかった古いものを、区の資料館の方に取りにきて頂いた。たぶん、今でもどこかに保管されているか、展示されているんだろう。その時にお礼で頂いた、担当の方からの手紙とふくろう柄の風呂敷を今回の引越しで見つけて、当時の心情が蘇ってきた。

最後は取り壊しになったから、そのまま不要物を残しておいても良かった実家と違い、今回は家の引き渡しまでに一つ残らず物を片付けなければならない。

まずはNetflixで配信されている、こんまりさんの片付けの動画を見てみた。

なるほど、片付けるには優先順位を決めるのか。そして、どの位の総量があるのか、目の前に積み上げて可視化する。それを一つ一つ手にとり「今ときめく」物なのか否かを判断して、ときめかない物は感謝の気持ちを唱えながら処分…ふむふむ。

涙腺緩めの私は、視聴ごとに出演者と一緒に号泣して仕事にならないので、2話みた所で早速作業開始。テキトーな性格故こんまりメソッドはたまに使ったり使わなかったりしながら、まずは捨てる物、持っていく物、譲る物に分類。譲るものに関しては、知人友人に送るもの、メルカリで売るもの、ジモティーで差し上げるものにさらに分けた。

まずは、桐たんす一竿半はあったであろう、着物と小物を9割方処分。SNSで興味ある方を募り、がさっと4箇所に全国配送した。

米洲の雛人形は大学時代の同級生のお嬢さんへ。その他、思い入れの強いものたちを次々と引き取って頂けた。

メルカリでは、どんなものが一般的には人気なのか?値付けのコツなども少し理解した。

面白かったのはジモティーで、早いものだと10秒で貰い手が付いた。

娘の弓道の道具は、まいうーの石ちゃんみたいな格好の役者さんが取りに来てくれて、舞台で使わせて頂きます、と言う。

父の形見から、80年代に私が使っていたもの、集めていた物ががっさりと入った時計の箱は、時計修理が趣味という、髪をビシッとツーブロックに刈り上げた男性が引き取ってくれた。お礼のお菓子も渡すと「ありがとうございます、娘が喜びます」と。聞けばシングルファザーだと言う。

錆びて壊れている…と書いた自転車もすぐに決まった。慣れた様子で譲渡証明書も持参で来た人は、恐らく直して転売するのだろう。

それでも全く構わない。ゴミになるよりも、どんなにいいか。こうした個人のやりとりはトラブルの危険性も孕んでいるとは言え、本当にありがたい世の中になったなぁと思った。

そして、引っ越しの日。結局最後まで不要なものを全て処分出来たわけではなく、こんまりでいう所の最後のフェーズ、思い出の品に関しては、大量の銀塩写真、ネガ、アルバム…そして、子どもたちの思い出の品を処分出来るまでには至らず、宿題をそのままここに持ち込んだ。

これからここに暮らす数年の間、また物と引き継ぎ向き合う時間になりそう。最後はスーツケース一つで、身軽にどこにでも移動していける。そんな気持ち良さをイメージしながら、半ばの道を歩き続けようと思う。