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美しいものづくりと、軽く在るべき理由

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昨日、友達に誘われて都内のある工場に行った。

写真に撮せば、おそらく大型の機械がいくつも置いてある殺風景な絵になってしまうであろう所。でも足を踏み入れたその場所は、隅々まで整然と道具が並び奥には美しく神棚が備え付けられていて、清々しい空気が流れていた。

案内してくれた青年は一目会っただけで清らかな心の持ち主だなと思った。恐らく何十年も、この隠れ家のような場所で精密な加工の技術を培ってきたんだろう。昨日も前の晩は、絶対に間に合わせたい仕事のために徹夜をしたと言っていた。

この日、今まで見たこともないような機械の数々で、コンマ何ミリの世界を形にする様子を目の前で見せてもらった。一部作業によっては私たちは自分の手でそれに関わらせてもらった。

そして生み出されるものは、美しい音が鳴るティーシャ(ティンシャ)というもの。昨日まで全然知らなかった。

音を聞いてみたら確かにヨガの最後の場面、シャバーサナの時に聞こえてくるような空気を微細に震わせるようなあれだった。懐かしく、聞き覚えのある魂が振動する音。

私は誘われるままついていっただけなので、彼がなぜそれを作ることを発案して何トンもの圧力をかける機械の自作や、表面の美しい柄のデザイン、工法の開発に至ったのかは知らない。でも余計な説明なしにもその繊細な作業や、素材への愛情や、私たちへの対応で十分に意図が伝わってきた。

実験も兼ねているので・・・ということでその日は様々な圧と形の組み合わせを試させてもらった。製品が世の中に出ていく前の、膨大なトライアルの中の一部。それは、心からワクワクするものだった。

形あるものを作っていくこと。複数の人の視点が加わってより魅力的に意味づけされていく。これは近々、友人の手により製品化され、希望する人が買えるようになるだろう。稀有なものを生み出すその場面に立ち会えたことが、本当に楽しかった。

昨日までは全く縁がないと思っていた場所にも、いいなと思う人がいる。そしてはっとするような、今まで出会うこともなかった世界を発見することになる。

知らず知らずのうちに、色んなことを決めつけているのは自分だ。ついつい歳と共に重たいものを背負ってしまう。どんどん思考を軽くし、行動を速やかにせねばなるまい。

わたしが持ち帰らせてもらったものの一つは、猫の鳴き声にちなんだ数字で加工した猫をイメージしたもの。家で鳴らしてみたら、あたりの空気がぱあっと澄んで行った。

すぐに近づいてきて、もっと鳴らしてくれと鼻で持ち手の紐をつつく。猫も気になって気になって仕方ない様子だった。