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石岡瑛子「血が、汗が、涙がデザインできるか」を観て

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昨日の向田邦子展に引き続き、今日も都内に出向いて東京都現代美術館で行われている石岡瑛子の大規模な回顧展を観た。

石岡さんのアートディレクションで一番印象が強く残っているのはPARCOのCMだ。キャッチコピーと一枚で切り取られた画が鮮烈で、グサッと胸に問いかけられ、余韻が長く残る。

私はそれ以上には石岡瑛子さんの仕事をよく知らなかった。でもどうしても今見なくてはならない気がしていた。結果、ものすごく心が揺さぶられ、凝り固まった錆がガシガシと動き始めた感覚があった。クレ5-56ぶっかけられたような。もう動くことがないと思われた、大きなネジを強制的に回されたような。

展示は資生堂のホネケーキの雑誌広告から始まり(この連作だけでも、すでに見応えがある)最後は少し切なくなるような可愛らしさと繊細さで、彼女の原点を形にした作品で終わる。

その間、膨大な量の仕事に関して、発案から完成形に至るまでの手描きのラフや、細かく厳しく端的な校正まで、事細かに現物が展示されている。

TVCMの映像作品、本や雑誌、パッケージデザイン、レコードジャケット、映画、舞台の衣装…ありとあらゆる意匠。

表現する媒体を選ばず越えて行き、己の芯にあるものをぶらさない。

越えていくのは仕事だけではなくて、その時々でどんどん海を渡り居場所も出会う人も変えていく。マンネリ、違和感を感じたら即行動。図らずも、行き帰りの電車の中で読んだ、この本に出てくるかねよんこと金子一代さんにも全く同じものを感じた。

真理の探究をする人は、人間の作った枠組みなんて全く関係ないのだ。それを軽く越えて行った先に、まだまだ続きが待っている。

そうして、死の直前まで目の前にあるものに向き合い続け、生み出し続ける。湧き上がる泉を止めることなく放出する人生。

命を使い切るって、こう言うことなんだなぁ。手に取れる距離でその生き様を見せてくれるこの様な場は、本当にありがたく貴重だ。

お昼は現代美術館の近くに住む娘が抜けて会いに来てくれたので食事。前週に同じ展示を見た時には、あまりの質量にエネルギー当たりしたようだ。

私に取ってはかなり爽快だった。くすぶり、何かを抜けようともがいている今の自分にはそれが必要だった。