今年体感した「お金」の話

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とうとう、激動の2020年最後の日。
今年私と関わってくださった皆様、会えなくても心や声をかけてくださった皆様、本当にありがとうございました。どの出会いも関係性も、当たり前でなく奇跡の様なもので、こうして文章を読んでくださる方と今繋がれていることを本当にありがたく思っています。

今年は2月に子どもたちが二人とも離れて住む様になり、4月にコロナを理由に職場を解雇、5月になんとなく引っ越しを考えるようになり、集中して動いた結果8月には全ての手続きを完了して移住。引っ越しの前日にブログを立ち上げてこのサイトをオープンした。10月からは副業で行っていた個人セッションに加えてものづくりのサイトを立ち上げる決心をし、11月にオープン。今は、とにかく試行錯誤しながら商品を作っては上げ・・・としている状態。

紛れもなく人生の大転換の年だったのだけれど、振り返れば意外と淡々とここまできたなぁという気がしている。もちろん、要所要所でかなりのプレッシャーがかかる場面はあった。でもそれは次につながるための道筋であって、それはむしろ、気持ち良く頑張れるポイントだったように思う。

今日は、今年感じた「お金」についての話をしたいと思う。経営者の方などにとってはちゃんちゃらおかしい話かもしれない。でもかつての私を含め、労働人口の8割以上を占める雇用者(会社員)の皆様に、一石を投じるかもしれないと思ってる。

今年の4月、私はその時に勤めていた会社を当日通達・当日解雇された。理由は少なくとも夏前まで対面の研修を全てキャンセルにするため、そのバックヤードを担っていた東京オフィスの人材を削減したいというものだった。(その会社は本社が金沢にある研修関係の会社だった)

間もなく、マスクが誰にとっても必要になりはじめた頃、会社に付けて行って違和感がなく肌触りがとことんいいものを・・・と試作した「スーツにも似合うマスク」と、好きな素材を追求した「リバティの布マスク」をネットにアップしたところ、私もほしい・・・と言ってくださる方が続出してFacebookやInstagramのメッセージを通して販売することになった。

そこから約2ヶ月。かなりの数の枚数を縫った。自分自身も「マスクの紐で耳が痛くなる」のが嫌だったので紐から研究して手作りし(紐だけ売ってくださいという方もかなりにのぼった)裏地は20年以上通った日暮里繊維街の問屋さんから分けてもらった「抗菌・抗ウイルス」を謳った素材を使ったものだった。

その結果、マスクにしては1枚の価格がかなり高額なのにも関わらず、特に敏感性の高いHSPの皆様はじめ、リピートも含めた数多くのご注文をいただいて、私は思わぬ副業としてはかなりの収入を得ることになった。

その収入で、私は2台の職業用ミシンを買い換えることができた。そして、コロナ禍で寄付やクラウドファンディングを募っていた友人の会社やかつてお世話になった媒体、出演させていただいていたライブハウス、前の年にアメリカで知り合った友人の団体などなど、様々な場所へ心置きなく寄付をすることができた。

そう、「心置きなく」お金を払うことができた。その経験はここ20年以上、会社員として主に働き、子どもと家族のために多額のお金を使った私にとっては久しく感じたことのない感覚だった。

いつもどこかでお金がなくなることを不安に思う。そして、自分の時間と引き換えに得た対価の中で生活をする。そこから抜けて何に使っていいお金が手に入り、図らずも困って居るところにそれを回したり、自分が気分のよくなるようなことに心置きなく使えた時の、自由な喜びを感じた。

そして数ヶ月。立ち上げの時には「自分のところに相談に来てくれる人など居るのだろうか?」「自分はその人たちにお金だけの価値を返せるのだろうか?」と考えて二の足を踏んでいた、個人セッションに毎月何人もの新規のクライアントが来てくれるようになった。

そして、自分の苦手を全て洗い出して助けを借りながら乗り越え、スタートした3maniというショッピングサイトには、新しいミシンをフル稼働して自分たちの手から生み出した製品が並びはじめ、それを購入して楽しい気持ちになってくれる人が現れた。

私は今、とても明るい気持ちでいる。ただ、そこに至るまでに、自分の中の自己肯定感の問題や、行動の足を引っ張る「負」の要因などがたくさん立ちはだかったのも事実。でも今はわかる。それは「誰にでも乗り越えられるものだ」ということが。

だから来年は、会社からのお給料や誰かから時間とスキルの対価で支払われる収入だけに頼らないという生き方を手助けしていく企画をやりたいと思う。心の中を掘り下げて、恐れを一つづつ克服し、自分だけの小商いで生計を立てることはどんなに楽しくて気分のいいことか。

まだ何も決まってないけど、待っててね。

たった1年くらい前まで、私は文章を書くのすら怖かった。画面の向こうの人がどう思うだろう?という些細なことを気にして、心からの言葉を打ち込むことができなかった。

今年、そんな私の文章を読んでくれてありがとうございました。どうぞ皆さん、良い年をお迎えください。